怒れるイエス
ぼくは、イエスは、いつも怒っていたのではないかと思うときがあります。あちこちで怒る。弟子の無理解を怒り、ファリサイ人や律法学者を怒る。イエスがエルサレムに入ると、神殿で怒りまくって、商人たちのテーブルをひっくり返す。
しかし、イエスは愛の実践家ですから、その怒りは憎しみからではなく、人間の奥底の悲しみから起こっている。今日の聖書箇所は、ユダヤ人が、ユダヤ人にとって都合の悪いこと、耳の痛いことをいう予言者を殺し、その子孫が予言者の墓を建てることで、予言者殺しに荷担することを怒っている箇所です。
天地創造のときから流されたすべての予言者の血について、今の者たちは責任を問われているとイエスはいいます。「今の者」というなかに、イエス自身も含まれていると思います。だからイエスの怒りは深い悲しみから起こっている。今、自分が起こさなければならない怒り、情熱がイエスの働きの原動力であったと思います。だからイエスはとりつかれるように行動し、権力を敵に回して、死に急ぎます。
先祖が殺し、その子孫が墓を建てるという表現は、まるで日本の靖国神社を彷彿とさせます。戦死した若者を英霊として祭ることで、戦争に意味を与え、戦争を聖なるモノ、聖戦とします。靖国を参拝することは、戦争を聖なる行為と認め、正当化することです。
先日の国会の党首質問で、共産党の志井氏が、安倍首相に、「あの戦争は間違った戦争であったことを認めますか」と迫りました。しかし、安倍首相は、痛切な反省をしているとはいいますが、「間違っていた」とはいわない。そんなことをいったら、英霊の存在そのものを否定することになり、自分が参拝する靖国の存在を否定することになるからでしょう。
しかし、痛切な反省はするけど、間違ってないという矛盾をどう克服しているのでしょうか。間違っていないのに何を反省するのでしょうか。
この矛盾をかかえるのは、ひとり安倍首相だけではありません。われわれ一人ひとりがこの矛盾の中に生きている。先祖が殺し、われわれが殺された者の墓を建てている。
日本人の戦争責任
日本人は、第二次世界大戦で、加害者の国として、戦争責任を負っているといわれます。しかし、その責任を感じて生活している人は、ぼくを含めて多くないと思います。数百万人の人間のいのちを奪った戦争の責任は誰がどのようにとっているのでしょうか。
責任とは一瞬一瞬感じとり、引き受けるものであると思います。歴史に学ぶということは、歴史の中にある己の責任を引き出し、引き受けるということであると思います。そうでなければ、われわれは先祖が殺した者の墓をつくりつづけてしまいます。
そう思って、日本国憲法の前文を読むと、われわれが何に責任を負うべきか、一つのカタログのようにまとまっています。憲法前文でうたわれていることは、主権在民、戦争放棄、国民の幸福の保障、また国際社会における平和追求のための努力です。これらは、単に為政者が行う宣言ではなく、われわれ一人ひとりが日本人として担う責任でもあります。
悪文家として知られる石原慎太郎氏は批判していますが、この格調高い憲法前文は、第二次世界大戦の惨禍を経て生まれたものであり、それは戦争に対する激しい怒りから起こっているものであると思います。
憲法で、「天皇」が日本の象徴とされているように、「天皇制」という言葉も、日本という国の大枠を象徴しています。
天皇制は、明治時代にはじまったものではなく、古来から、日本人の政治の枠組みとしてあるものです。といっても、皇室の人々がその人格において問題があるわけではもちろんありません。むしろ好人物といっていい人々であり、明治以来、日本の天皇は立憲君主制の優等生といっていいと思います。
天皇制という日本の政治を象徴する枠組が問題なのです。日本人は、一つの権威を立てると、その権威に生まじめに追従する傾向が強いといわれます。フランス革命のようにすべての権威をぱっとひっくり返すことはしない。明治維新のときのように、天皇を味方にして権威の側につきながら、旧来の権威を倒すというやりかたをとります。昭和初年に陸軍が台頭するときのやり方も、天皇の権限である「統帥権」を盾にとり陸軍が自分の意見をごり押しします。
太平洋戦争が終わると、日本を占領支配するマッカーサー人気が上昇します。マッカーサーは、日本を空襲で焦土と化した米軍の大親玉ですが、マッカーサーへのファンレターが殺到し、日本中にマッカーサー旋風がおこり、彼の名前を冠した通りや映画館などができます。
マッカーサーによって象徴された米国の権威とは、軍事力、経済力に裏付けられ、今は安倍首相などによって信仰のように強く担われています。
日本の首相を3度務め、日本を戦争へと導いた一人とされる近衛文麿は、昭和20年8月15日の終戦後ただちに、米兵相手の娼婦の館をつくるように政府に建策します。政府は即座に全国に娼婦募集をはじめます。つい2週間前まで、日本軍はそのプライドをかけて連合軍と戦い、最後には、国民全体が、日本のため、天皇のため、竹槍をとって戦えと命令されていました。この陸軍の威勢のいい「決号」作戦が立ち消えになって2週間後に、今度は米軍のために娼婦を募集します。この変わり身の早さは驚嘆するべきことです。
靖国参拝の意味
太平洋戦争中、神風などの特攻で亡くなった若者は7000人といわれます。沖縄では、昭和20年4月に米軍が上陸して、一般市民を巻き込んで悲惨な戦闘が行われたことは、日本人全体が映像によって目に焼き付けられていると思います。3か月の激戦で沖縄が米軍に占領されるまでに、一般市民を合わせて約25万人が死んだといわれます。
ぼくの教会の知り合いは、昭和20年、陸軍航空隊の特攻隊員として出撃命令を受けます。そのころには物資がほとんどなくなり、特攻に使う飛行機もなく、18歳の彼は、飛行機がやってくるのを待つ間に戦争が終わります。出撃を待つまでは心が高揚して、天皇陛下のために死ぬのは当たり前と思っていたそうです。仲間も大勢が戦死し、自分だけ生き延びて家に帰る気にはなれなかったといいます。
作家の島尾敏雄は、モーターボートに爆弾をくくりつけて、よたよたと敵艦に体当たりする特攻の指揮官になります。本人もばかげていると思うのですが、最後の日まで特攻は続き、出撃の朝、戦争が終わります。
日本海軍は、太平洋戦争の負けがこんでくると、「絶対国防圏」という海域を太平洋上に設け、ここから中に米軍が攻めこんできたら「もう日本はアウトだ」という線を引きます。しかし、19年6月のマリアナ沖海戦で絶対国防圏は米軍によって突破されます。「絶対」というのだからここを破られたら終わりのはずです。でも、日本は戦争をやめようとはしませんでした。
その4か月後の19年10月には、米軍からの攻撃をフィリピンで迎えうとうとして、徹底的に負けます。この海の戦いで、海軍は軍艦のほとんどを失って戦闘能力がなくなり、飛行機などによる特攻攻撃が開始されます。
特攻でなければまともな攻撃手段がなくなりました。陸海軍は特攻の旗を振り続け、次々に新しい特攻兵器を開発します。特攻兵器は、はじめのほうこそいくばくかの成果をあげたのですが、米軍によって、対抗策がとられるようになり、まともな戦果がほとんどなくなります。それでも、軍部は特攻を続けます。ほとんど何の成果もないのに特攻をやめられない。特攻で死ぬ兵士は英霊となって靖国神社に祭られるといわれます。ある手記では、18歳の特攻隊員の青年が靖国にまつられるといわれ、「申し訳ないことです」といって死んでいきます。50歳を過ぎた陸海軍の将軍たちが、10代後半から20代の若者たちのいのちを、まったくムダに次々に死地に送り続けます。これを怒りなくて、どうとらえたらいいのでしょうか。
沖縄戦では、特攻機2400機が米軍の艦船に体当たりを試みたのですが、米軍がこうむった被害は艦船数にして3%です。特攻は効率のいい攻撃方法だから行ったのではなく、特攻以外に攻撃方法がなかったのです。死ぬと英霊になるという神話が戦争装置として利用されます。
戦争開始の動機は「バスに乗り遅れるな」
昭和19年10月にフィリピン沖海戦で日本海軍が敗れると、米軍は、マニラに侵攻し、マニラが戦場となって、マニラ市民の約10万人が亡くなります。フィリピンが米軍の手に落ちると11月から日本本土の空襲が開始されます。米軍は、フィリピンから、爆撃機のB29を数百機単位で飛ばして、日本中を絨毯爆撃するようになります。
翌20年3月10日には、大規模な東京大空襲があり、統計上一晩で8万人が死亡し、100万人が被災します。これらの犠牲はいったい何のためだったのでしょうか。戦争に勝つためとはいえません。軍部、政府関係者はとっくに戦争に勝つとは思ってもいませんでした。ただ戦争を止めることができなかったのです。
昭和6年の満州事変にはじまる中国との戦争のとき、日本政府、軍部は、何度か戦争を止めようという話し合いを持ちます。しかし、そのたびに、「今やめたら、いままでの損害は何だったのか」、死んでいった者たちに申し訳がたたないという理由で戦争が継続されます。いいかえれば、いままでの損害が無であることがわかったら、とくに陸軍のメンツが丸つぶれになり、その権威が失われるからです。
昭和16年からの太平洋戦争がだらだら続けられたのも、損害が大きくなるほどに、損害に対する軍、為政者の責任がふくれあがり、もう誰もその責任をとることができなくなっていきます。「今やめたら、これまでの損害は何だったのか。すべてムダではないか。英霊に申し訳ない」という発想は、現在、安倍首相が、日中戦争、太平洋戦争を「間違っていた」といえない理由でもあります。戦争が間違いだったといえば、そこで死んでいった者に申し訳がないと考えるのは、昭和6年から長い戦争を主導した戦争指導者と同じです。
昭和20年になると、日本軍は、攻撃手段を特攻以外にもたなくなったというだけではなく、男性が召集され戦地に行くことで農業生産力が低下して、秋には食糧難に陥り餓死者が出るという統計が出されます(実際にこの餓死を救ったのは米軍の物資です)。それでも、為政者も軍も戦争を終わらせることができなかった。米軍の空襲は日増しに激しさを増し、6月に沖縄が陥落し、8月6日に広島に原爆が落ち、翌々日にソビエト軍が参戦し、その翌日に長崎に原爆が投下されます。
ここにいたって日本政府は、ようやく10日にポツダム宣言の受諾を御前会議で決定します。しかし、その後もだらだらと戦争をやめられず、15日まで戦闘が続き、15日正午に天皇の有名な終戦宣言が行われます。
中国との戦争がはじまったときは、その善悪は別にして、中国、満州の権益を守るといった大義名分がありました。しかし、太平洋戦争のはじまりには大義名分がないのです。ただ、このままでは日本は石油がなくなって「じり貧」になってしまうが、ドイツ軍は今ヨーロッパ全土に破竹の進撃を行っていてヨーロッパを席巻している。このドイツの勝ちに乗じようではないかと考えます。これはぼくの「かんぐり」などではなく、軍部からは「バスに乗り遅れるな」というかけ声とともに、昭和15年に日独伊三国同盟が結ばれます。これが対米戦争への大きなステップになります(ちなみに「石油がなくなる」という「じり貧状態」も、日本軍が中国占領地にしがみつき、時期をみて上手に外交交渉を切り抜けられなかったからです)。
小さな歯車
はじめた戦争の歯車を自力ではとめられなかったという視点は重要です。そして、この歯車がいつ回りはじめたかを考えることも重要です。実は、太平洋戦争にいたるまで、陸海軍内においてさえ、戦争反対の声は大きかったのです。戦後、A級戦犯として戦争開始の責任を問われて死刑になった東条英機首相、武藤章中将(開戦時、陸軍軍務局長)は、確かに太平洋戦争開始の立役者でもあるのですが、米国相手の戦争にはかなり最後の段階まで反対します。日独伊三国同盟締結の際に、米内光政海軍大臣や山本五十六といった海軍の中枢も反対を主張し続けたことは有名です。
にもかかわらず、確かな成算も目的もないまま太平洋戦争は勃発しました(戦争をするための石油がないという理由で戦争がはじまるのです)。一度、どこかで小さな歯車が回りはじめ、この小さな動きが、さまざまな不確定な要素によって次々に別の歯車を動かし、やがて人力では止められないほど大きなうねりになったのが太平洋戦争です。このことも戦争を考える上で重要です。どこかに、小さな歯車が回りはじめていないか、注意深く観察する必要があります。
戦争で死んでいった人たちの尊い犠牲を、「英霊」などとしてではなく、われわれはもっとまじめに受け取らなければなりません。二度と戦争を起こしてはいけないという覚悟を決めることが、われわれが引き受けるべき責任であると思います。
それが現憲法の前文に宣言されています。憲法の前文には、間違った戦争に対する痛切な怒りがあります。この怒りをわれわれは責任とともに受け継ぐ必要があると思います。
日本人一人ひとりが、日本という国に対して、どのような態度をとるべきか、とくに過去の戦争にどう向き合うことが正しいのかを考えることが重要です。
日本は、他アジアの国々に対して加害国で、その自覚は日本人の良心として大切ですが、それだけで戦争責任をとったとすることはできません。
日本人の戦争責任とは、現憲法にあるように、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めることであると思います。このことは十分に国益にかなうものです。
私たちキリスト教徒も、イエスのように、怒りをもって、勇気をもって、戦争の責任を担うべきではないかと思います。イエスが隣人を愛したように、キリスト教徒らしい戦争責任の引き受け方があると思います。
(2015年6月 教会で行ったメッセージ)
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
ルカ11章46~50
イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した予言者たちの墓を建てているからだ。こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。だから、上の智恵もこういっている。「わたしは予言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。」こうして、天地創造の時から流されたすべての予言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる