2012年06月29日(金)

十二指腸潰瘍と胃潰瘍

 十二指腸潰瘍の女

先日、知り合いの女性と昼食を摂っていたら、胃潰瘍と十二指腸潰瘍の違いの話になった。彼女は十二指腸潰瘍を病んだことがあり、そのとき医師にいわれた言葉が深く心に突き刺さっているのだそうです。
 彼女の主治医にいわせると、十二指腸潰瘍というのは、かなりズボラでいい加減な性格の人間がかかる病気だそうです。その点、胃潰瘍というのは、きまじめで、几帳面で、神経質、責任感の強いタイプの人間がかかる病気だとか。たとえば夏目漱石ですね。
 この医師のところに来る患者が偏っているのかもしれませんが、問診票の書き方で、だいたい患者の性格がわかるんだそうです。十二指腸潰瘍タイプは、投げやりで、よくわからないことを書いて来る人間が多いんだとか。
 たとえば、問診票で、「アルコールはどのくらい飲みますか」という質問に対し、胃潰瘍タイプは、「毎晩ビール300ccくらい」と律儀に書くのに対し、十二指腸潰瘍タイプは、「少々」「ふつう」といったように、医師がどう判断していいのかわからないことを書いてくる。 確かに、「ふつう」じゃ分からんよなあ。ぼくの知り合いの女性は、毎晩、「少々」お酒を飲んで、「ふつう」に居間の床で寝ているんだそうです。
 で、僕は、十二指腸潰瘍の女性に、「がっかりすることはない。いっしょに十二指腸潰瘍クラブをつくろう」と提案したのです。すると彼女はこういう。
「あなたは、十二指腸潰瘍になったことあるの?ないでしょ。十二指腸潰瘍の女というのは、いってみれば胃潰瘍ギリギリのところで生きているのよ。十二指腸潰瘍にもならない、ほんもののズボラ人間といっしょにされると困るのよ」 ということで、十二指腸潰瘍の女に見捨てられ、「胃潰瘍にはもちろん、十二指腸潰瘍にもならない(なれない)、幸福なタイプの人間クラブ」をつくろうかと思っているところです。


問診票はこわい
 だいぶ前の話ですが、僕も問診票ではちょっと悩んだことがあります。ある労災病院の耳鼻咽喉科にかかったときのことです。
 問診票に、いろいろな症状に対する質問が書いてあって、僕は医療福祉領域の記者だから、僕なりに丁寧に答えていったつもりですが、最後にこういう質問があった。
 「もしあなたががんであった場合、正しい告知を望みますか・・・はい、いいえに○をしてください」
 う~ん、僕は悩んだ。どうしよう、僕は、耳の中をペン先でかくクセがあって(今はやめた)、そのため外耳炎を起こしてしまったのです。ここで、もし「はい」に丸をつけたらどうなるか。
 レントゲンをとって、いきなり、「あっ、がんですね。あと半年くらいです」と正直にいわれるとちょっと困る。でも、ここで「いやだ」のほうに丸をつけると、新米医師かなんかに、「おっ、耳垢(みみあか)が詰まった患者がビビりまくってる」と思われるんじゃないか。ぼくは、医療福祉記者を名乗っている手前、万一そういうことが外部に漏れるとまずい。悩んだすえ、でも、耳のがんというのは聞いたことがないし、ここで、「はい」に丸をつけても、「あと半年ですな」といわれる可能性はかなり低いと考えていい。
 ということで、「はい」というほうに見栄で丸をつけた。診断はやっぱり耳垢が詰まった外耳炎だった(耳垢といってもバカにしてはいけません。これが詰まって外耳炎になるとかなり痛いのです)。

それにしても問診票というのは、なかなかあなどれないと思ったしだいです。

信仰を問われている
 でも、まじめな話、ぼくが「はい」に○をつけるのをちょっとためらった理由はほかにもあります。「正しい告知を望みますか」と聞かれるのは、つまりは、「死は怖いか」と聞かれているわけです。僕は、チョー下っ端といえどもクリスチャンの端くれだから、深読みすると、「おまえは死後の世界を信じないのか、おまえはそれでもクリスチャンか」と追及されているような気もする。まあ、パシリ系のクリスチャンだから、おろおろしても仕方ないのですが、問診票の片隅に、そう気軽に、深刻なことを聞くな、といいたい。ほかの病院でもそんな問診票はあるのかな。

僕のように「十二指腸潰瘍クラブ」にさえ入れてもらえない幸福なタイプの人間でも、やっぱりあの問診票には悩むのだ。

がん告知といってもいろいろあります。ステージ34くらいになると医師は告知の方法を考えます。医師がただの技術者ではないという証明でもありますね。直接、死生観に関わる問題ですから、国や文化によっても異なります。
 米国なら、深刻な場合でも本人に直接告知し、本人が家族にどう告知するか悩む。でも日本では、深刻な場合はまず家族に告知するのがふつうのようです。とくに本人に「あと数ヶ月です」などという告知はしない。
 でもそれに近いことを不用意にいう医師がいて、患者も家族もパニックになることがあります。告知のルールは国によって一律ではないし、死生観も違うので、とても難しい問題を含んでいます。 (小平)