2017年02月25日(土)

第20回: 「天才」と「楽聖」の違い

第20回

「天才」と「楽聖」の違い

 天才モーツァルトと楽聖ベートーベンは、幕の内弁当でいえば、焼魚と卵焼きといった玉座に君臨します(ちょっと主観的なたとえかもしれません)。
 二人はともに18世紀後半に生を受けます。16歳の貧しいベートーベンは、大田舎のボンから、帝都ウィーンに郵便馬車で上京し、飛ぶ鳥落とす勢いのモーツァルトに教えを請います。このころ音楽学校はまだなく、音楽を志す者は、高名な音楽家につきますが、ベートーベンは、母の死でボンに引き上げます。
 二人は16歳しか違わないし、活躍も同じウィーンですが、ここにははっきりした断層があります。何が違うかというと「聴き手」が違うのです。
 モーツァルトは、宮廷・貴族からの注文を受けて、食事、葬式、婚礼、戴冠式といった伴奏のために「使い捨て」の曲をつくりました。当時、音楽は貴族など富裕者を楽しませるもので、最高の出し物であったオペラも貴族の祝典などの余興でした。
 彼は、30歳ころから貴族のための定型化された音楽をやめ、独自の音楽を追及します。世紀の傑作『フィガロの結婚』は貴族を茶化したオペラで、革命前のパリの張り詰めた空気に神経をとがらせていたウィーンの宮廷は上演を早々に打ち切ります。
 この時期を境にウィーンの宮廷・貴族から注文がパッタリ減り、オペラ『魔笛』は、旅一座のために書かれたものです。平土間で聴く庶民から喝采を浴びたものの、その年の暮れ、貧窮のうちに35年の生涯を終えます。貧しい葬儀が営まれ、墓はどこにあるかわかりません。
 いっぽう、ベートーベンは、はじめから貴族層を相手にせず、都市市民を聴衆にして曲を書きます。もともと政治、宗教などの権威を嫌い、気むずかし屋で、コーヒーと安ワインを好み、なぜか年1、2回の引越しを繰り返します。56歳で病死すると、ウィーン中が死を悼み、棺の一端は愛弟子シューベルトが担ぎます。その後、音楽文化の担い手は貴族から市民層に移ります。