2017年01月30日(月)

第19回: 趣味としての「弁証法」

第19回

趣味としての「弁証法」

 人間には、一方的に話をする人(独言型)と、相手のいうことを納得いくまで聞こうとする人(対話型)がいます。
 独言型の人の中には、人からの批判を嫌い、すぐカッとなる人がいます。そういう人は、他人を批判するのもヘタで、ネコのように爪を立てます。
 ソクラテスは、そうとうイヤなヤツだったようですが、人の話はよく聞いたようです。なぜイヤなヤツかというと、よくよく相手の話を聞いてから、「そうじゃないよ」と否定するのが好きだったからです。それだけではなく、否定の理由を理路整然と説明しますから、ますますイヤなヤツです。
 相手のいうことに反論するには、よく耳を傾けなければなりません。哲学用語に「弁証法」がありますが、これはまず「否定ありき」の方法です。弁証法は「正・反・合」ともいわれます。
 ある人が、ある「正しいっぽい意見」を出すと、別の人がその間違いを探して反論し、互いの意見をすりあわせて、もっと「正しいっぽい意見」をつくります。それに、またまたイチャモンをつけて、さらに意見を出していくという、超ネチこいプロセスが弁証法です。
 弁証法といわれると、自動的に開くトイレのフタみたいなウットーしさがありますが、ふつうの話し合いの中で、誰でもとりいれているものです。
 ちょっとホネなのは、相手の意見を「よく聴いて」「冷静に反対し」、相手の反対意見を「寛大に受け入れる」ことです。「正→反→合」というより、「聴→反→超」。時代劇でいう「チョウか、ハンか、他にないか、よござんすね」という感じです。
 「なんでわざわざ反対するんだ?」といわれそうですが、あんがい「もっともな意見」というのは、よく聴けば批判点がみつかるものです。
 弁証法は、晩酌のように一人でやると哲学になるし、夫婦や女子会のように複数でやると実りあるコミュニケーションになります。「よく聞き、楽しく反対しあう」というのが、ダシのきいた結論を導くためのコツです。