2017年01月26日(木)

第10回: 変人聖職者、天地をひっくり返す

第10回

変人聖職者、天地をひっくり返す

 500年前までは、星は、人にとって舞台のかきわりのように宙に浮き、夜空にぶら下がっていました。古代人は、そこから国や人間の運命を読み取ろうとして、占星術という名前の天文学が発達し、長らく科学と占いが同居します。
 地球が丸いことは1,2世紀前からわかっていたのですが、地球が太陽の周りを回っているなんて、16世紀のキリスト教文化人には寝耳に水です。
 「聖書」には、神様は、陸と海をつくったあとに太陽をつくると書いてあります。その太陽の周りを、大地がグルグル回るなんてありえない話です。
 とうぜん、キリスト教世界から相手にされません。ほぼ同じころローマ法王に反旗を翻したルターにいたっては、「自分が乗り物に乗って動いているのに、風景が動いている、といいはるアホがいる」とこきおろします。
 「アホ」とは、いうまでもなくコペルニクスです。コペルニクスはこともあろうにポーランドの高僧でした。中世の「暗黒」をこじあけたルネサンスの天才の一人で、数学、医術に長け、知事としても活躍します。
 彼にとって天文学は趣味で、昼も夜もコツコツと天体観察を続け、地動説を確信します。彼の名前は、そのころ発達しはじめた印刷物でうすうすと知られるようになります。
 しかし、当時、宗教裁判の炎が燃えさかっており、「聖書が間違っている」などといおうものなら火あぶりになります。実際、コペルニクスの死後、地動説を支持したブルーノは火刑に処せられます。
 地動説は古代からくすぶっていて、当時も地動説を唱える学者はぼつぼつといました。40代のコペルニクスは、数学力と観察力で地動説を実証するのですが、それを本にして発表するのは、彼の死の年である70歳のときです。
 コペルニクス副司教は、天体と数学が大好きな変わり者でした。当時、「科学者」という職業はなく、「冒険家」「偏屈」「アホ」がその仕事を担っていました。現在でも、驚天動地の働きは、その手の人間によって担われているようです。