2016年11月23日(水)

第1回: モーツァルトは天才かつ下品?

第1回

モーツァルトは天才かつ下品?

 モーツァルトといえばクラシック音楽中のクラシック音楽で、熱狂的愛好者が多く、「モーツァルトが嫌いだ」というクラシックファンは、よほどへそまがり、陰険、ワニ、ケダモノ・・・くらいな扱いを受けます。
クラシックファンでなくてもモーツァルトを聴いたことがないという日本人はいません。何しろカフェ、テレビコマーシャル、映画、歯医者でも、モーツァルトはあふれていますし、幼稚園で歌う「きらきら星」もモーツァルト作曲です。
 「モーツァルト効果」という医学用語もあります。
モーツァルトの多くの楽曲は、自律神経に働き、副交感神経を優位に導くことで、健康維持に有効なんだそうです。心を落ち着かせたり、痛みのある患者に聴かせて痛みを緩和したり、牛に聴かせるとミルクを多く出すという報告もあります。
モーツァルトを描いた映画『アマデウス』(1984年)は、アカデミー賞8部門を獲得し、いまだに愛されている作品です。
 この映画は、天才モーツァルトの才能を評価するあまり、嫉妬に狂う宮廷音楽士長サリエリの苦悩を、オペラ的な喜劇として描いた作品です。
謹厳実直を絵にしたようなサリエリは実在の宮廷音楽家で、「天才かつ下品」なモーツァルトに、その凡庸な才能を人前でからかわれ、踏みつけられながら、しかし、モーツァルトの才能を誰より愛し、したがって壁に頭をぶちつけられるような日々を過ごします。そして、ついに「モーツァルトを愛する神」をのろい、神に復讐するためにモーツァルト殺しを計画します(そういう説もあるという程度で事実無根)。
この映画を観てモーツァルトにがっかりしてモーツァルトが聴けなくなったという人を知っていますが、それはお門違いです。この映画の面白さはサリエリの人間的な苦悩にあり、誇張されたモーツァルトの天才的な無邪気さと下品さは映画のユーモラスな味付けです。そしてモーツァルトの音楽を深く深く愛しながら、神に復讐を果たしたサリエリは、最後に精神病院で笑うのです。
 ふんだんに使われるモーツァルトの音楽とともにとても楽しめる作品です。俳優(トム・ハルス)は、天才の裏の顔である下品さ、無邪気さ、悲哀をあますことなく表現しています。
 楽聖モーツァルトは下ネタが好みだったようで、うんこ、おならを連発したラブレターも残されています。音楽界で富と名声を求めるという欲望はとうぜん強く、贅沢好き、その日暮らしで、人生を享楽しようとした人物ではあることは確かなようです。しかし同時に、父との確執に悩み、父を裏切ったことへの罪責感にさいなまれ、妻への優しい愛を貫いた人でもありました。
 『アマデウス』は、「天才、楽聖といっても、人間とは所詮そんなもんだ」と思わせてくれます。その美しい音楽性と、愚かしくも切ない人間性を、聴く人が心の中でカクテルにして味わうのもモーツァルトの楽しみの一つです。

モーツァルトは使用人

 当時、オペラ、室内楽など「観賞用音楽」は宮廷・貴族の娯楽で、モーツァルトは、宮廷では使用人なみの地位にあり、天才であるという自負ゆえの屈辱感を味わい続けます。
 音楽家の父レオポルトは、幼いモーツァルトに徹底的な英才教育をほどこします。幼少時から天才の名をほしいままにし、十代で故郷ザルツブルクの宮廷学士長になります。20歳代半ばにはワンマンな父親から逃げるように首都ウィーンに移って、フリーの音楽家として活動をはじめます。
 貴族の私邸で室内コンサートを開いたり、新曲の楽譜を売ったり、オペラを作曲・指揮したり、数年は貴族たちの寵児として経済的にもめぐまれた生活を送ります。
 しかし、30歳を過ぎたあたりから、ひたすら華やぎと楽しみを求める「宮廷・貴族音楽」とは一線を画すようになり、独自の音楽性を追求しはじめます。
 フランス革命はモーツァルト33歳のときで、革命前は、ウィーンのハプスブルク家でも革命の気運に神経質になります。モーツァルトは「ノンポリ」だったようですが、世紀の傑作『フィガロの結婚』では、貴族を道化役にしたためか興業は数回で打ち切られます。
 35歳で死ぬまで、旺盛な創作活動を行い、音楽界に次々に新風をもたらしますが、スポンサーであった貴族階級から見放され、貧窮のどん底で急死したうえに、死因も墓も不明のままです。
 フランス革命後、オーストリア帝国内でも、貴族に代わって、都市市民が力をつけるようになり、音楽の聴き手も、少数派の富裕貴族層から多数派の都市市民層へと移っていきます。それに合わせて音楽そのものの質にも変化が起こります。モーツァルトが死ぬ年(1791年)に発表したオペラ『魔笛』は、ウィーン市民から熱烈な喝采をあびました。
 モーツァルトを敬愛し、やはりウィーンを中心に活躍した次世代のべートーベンは、はじめから、宮廷貴族を相手にせず、音楽を愛する都市上層市民を聴衆としました。絵画もそうですが、このころ、音楽は「職人仕事」から、「芸術」としての地位を確保します。天才モーツアルトのはく落はその過渡期に起きたものでした。