第16回: 恋も失恋も、鼓動も音楽だった
第16回 |
恋も失恋も、鼓動も音楽だった
シューベルトは、「菩提樹」「ます」など、耳に親しい作曲家です。「野ばら」「魔王」は10代で、「ます」は20歳で書かれます。1828年に31年の短い生涯を終えるまで、1000曲以上をつくり、歌曲を中心に、楽想のすばらしさだけではなく、空前絶後の多作で知られます。
音楽史的には19世紀ロマン派の旗手です。ロマン派音楽は、従来の音楽形式の枠を超えて、人間の感情のゆらめき、激しさ、繊細さをさまざまな手法で表現する運動です。
シューベルトは、技巧的というより、優しく柔らかい旋律が多く、イメージとして、「この人は善人であったろうな」と感じてしまうのですが、人物像ははっきりしません。
というのは、朝、時間通りに起き、時間通りに食事と散歩をし、それ以外は作曲に集中します。食事や散歩をしながらも楽想を追いかけていたのでしょう。何しろ週数曲のペースで創作していた計算です。
夜は、夢の中で、メロディが頭に浮かぶと五線譜に向かい、そのため眼鏡をかけて寝たというエピソードがあります。夜中、ムックと起き上がり、ランプを点ける間ももどかしく、月明かりで五線譜に目を近づけ、驚くほどのスピードでペンを走らせる姿が目に浮かびます。
父は貧しい教師で子沢山でしたから、奨学金で音楽学校に学び、友人たちが彼の生活を支えました。その後、主に楽譜の出版で生計を立てますが、楽譜はなかなか売れず、生涯貧しかったといわれます。
シューベルトの生涯には、女性の「影」がみあたりません。しかし、失恋した男の、冬の一夜を歌いあげた歌曲「冬の旅」はシューベルトの白眉とされます。
音楽の中で呼吸し、音楽の中で恋をし、悩みも苦しみも、言葉も孤独も、心の中にあるものは、最後の一滴まで楽想にかえた人です。
死因は、腸チフスとも梅毒ともいわれます。梅毒というところで、女性の影がチラリとあらわれますが、現実の恋には不器用であったようです。死をも楽想にかえることができなかったのは残念です。