第13回: ミレーはいのちの躍動を描いた
第13回 |
ミレーはいのちの躍動を描いた
ミレーは、19世紀フランスのバルビゾン派を代表する画家で、「晩鐘」「種蒔く人」「落ち穂拾い」などはどこかで見たことがあると思います。「種蒔く人」など数点の絵は山梨県立美術館が所蔵しています。バルビゾンは、パリから60kmほど南にある村の名前で、ミレーのほか、ルソー、コローなどが居を構えて農村、農民の風景を描いています。当時の絵画は、歴史や聖書、物語などドラマの一コマを描くことがその役割とされていました。ですから、風景やそこで暮らす庶民は、いわば芝居の書き割りのようなもので、主人公を引き立てる背景に過ぎませんでした。
しかし、ミレーは、英雄も神も聖人も華やかさもヌードもなく、パリを一歩離れたら、どこにでも見られる、うんざりするほど貧しく平凡な農家の日常を切り取ります。
「晩鐘」は、農民の若い夫婦が、夕べの鐘が澄み渡る畑で、一日の労働を終わらせ、土の上に農具をおき、ほっと一息ついて、頭を垂れ、その日の感謝と平穏を祈る場面です。
それまでの絵画のほとんどは富裕層の娯楽であり、肖像を描かせたり、部屋を豪華に飾る装飾品であったのですが、バルビゾンの画家たちは、美しい農村と、力強い農民の姿を舞台に上げ、いのちを吹き込みます(ここから、自然の中で、光と風景を描く印象派が生まれます。面白いのは、ミレーの時代には、画家はまだ屋内で風景を描いていました)。
とうぜんながら、ミレーは、大都市パリのほとんどの批評家に受け入れられず、国の展覧会(官展)では落選続き。生涯の大半をパン屋や洋服屋の集金に悩まされ、9人いた(!)子どもの食べ物や、真冬に暖をどうとるかといった資金繰りに追われます。
ミレーの面白さは、〈農民の子〉ミレーが、農民を〈モデル〉として絵を描いたのではなく、農民と〈ともに〉、その貧しさと持病の頭痛と闘いながら、農民の生活の中にある〈いのちの躍動〉に共感し、その感動を伝えようとしたことにあります。