2017年01月20日(金)

第3回: バッハと「イエス殺し」の下手人


第3回

バッハと「イエス殺し」の下手人

 バッハは、「荘重、荘厳」に特徴があるバロック時代(17、18世紀初期)の旗手ですが、現在、映画やCMなどでも耳に親しい音楽です。
 バッハは、若くしてオルガン奏者として大成します。が、超短気で頑固者だったらしく、雇い主である領主や市などと意見が合わず、たびたび転職します。弟子にも厳しく、「おまえの演奏は、ヤギ爺みたいだ」とののしって、決闘寸前までいったことがあります。
 バッハにとって、フーガのように旋律が重層する曲は、「神の宇宙の調和をあらわすもの」でしたが、若い世代からは、「まがまがしく、複雑で混乱している」と批判され、65歳で病没すると(1750年)、その後しばらく忘れ去られます。
 バッハは、生涯に数曲の受難曲をつくります。受難曲とは、イエスが、罪もなく逮捕され、十字架をかついで丘を登り、十字架上の死に至るまでをモチーフにした音楽です。

イエスはなぜ殺されたのか。

 イエスは、2000年前の当時、アイドルなみの人気で、エルサレムでは、歓呼の声に迎えられ、民衆は木の枝や自分の上着をイエスの道の前に敷きました。この「成り上がり者」の人気は、ユダヤの権力者にとっては社会を揺るがす脅威でしたが、なぜ民衆までもがイエスを裏切ったのでしょう。
 処刑場には、イエスのほか2人の受刑者がいて、そのうちの一人がバラバという強盗でした。処刑を前に、ローマの代官が、「今日は祭礼なので、一人だけ解放してやる」といったとき、居合わせた民衆は、罪のないイエスではなく、強盗のバラバを助けろと叫びます。バッハの大作マタイ受難曲で、民衆が「バラバ、バラバ」と大合唱するのは圧巻です。
 この大合唱の「源」は、人の心の奧にひそむ嫉みとされます。嫉みが群衆によって増幅され、合唱のうねりとなります。歴史的には、ユダヤ人は、「イエス殺し」の犯人とされ、迫害される理由の一つになります。
 自分の心の奧を見すえる、この重苦しいテーマは、バロックの次にあらわれる、華麗さ、快適さ、優美をかたちにする「ロココ趣味」(18世紀)にはなじまなかったようです。
 現在もちょっとロココっぽい?