第25回: お能をみて眠る贅沢
第25回 |
お能をみて眠る贅沢
スペインのファドや、トルコの踊る宗教を見たことはあっても、日本が誇る伝統芸能であるお能、狂言を舞台で見たことがない人は多いと思います。かくいう筆者も2度ほど見学したことはありますが、一度はたきぎ能で、口を開けて観ているうちに終わり、2度目はよだれを垂らして寝ているうちに大半が終わっていました。歯科医の岡田彌生さんは、10年前にお能にはまり、ついに能楽堂でシテと呼ばれる主役を舞ったのですが、「最初は、寝てもいいんじゃないですか」とか(よかった!次から口は閉じて寝よう)。
お能というのは、勇士物、霊験物、人情物などいくつかのテーマにそった物語を、舞、謡い、器楽(鼓、笛)で表現する和風オペラです。鬼女物の「道成寺」はよくしられています。歌舞伎より古く、室町時代に大成したのですが、もともとは農民の娯楽からはじまり、村の祭礼で農民が自ら楽しむオペラでした。現在、佐渡などに土着の能文化が引き継がれています。いにしえの庶民の芸術魂のたくましさを覚えるとともに、そもそも芸術って庶民が楽しむものだったことに合点がいきます。
鬼女、精霊がたゆたう能オペラの合間に、狂言という笑劇が入ります。千年も前の人が、たまの休日に、いろいろな仕掛けをつくって楽しんでいたことがうかがわれます。
能の舞台は客席にせり出し、出演者と客は驚くほど近くにいます。出演者は、一本の橋からあらわれ、去っていきます。この橋はこの世とあの世を結ぶもので、死と生が橋一本でつながっているところに、いのちのはかなさ、もののあわれに通じる日本文化の感性があるようです。
岡田さんは、免疫論を読んでいるうちに能の死生観に興味をもったそうですが、「むずかしいことより、アフリカの人が感動したという鼓の響きを楽しんでほしい」といいます。ときどき無料公演があるので、和のオペラを通して、いにしえの人のもののあわれに触れ、ときに居眠りするというのは最高に贅沢な時間ではないでしょうか。