2011年12月09日(金)

楽しい会話こそメインディッシュ

 
ドイツ人の質素な楽しみ

先日、チェコ人と話していて思い出したのですが、ドイツでもチェコでも、金曜日は午後2時になると仕事は終わり。州によって違うと思うけれど、多くの州で、2時になると会社にはパッと人がいなくなる。

じゃ、みんな、どこに行くのか。

暖かい季節なら、恋人同士、夫婦、友人同士が集まって、どのカフェテラスもいっぱいになる。金曜日の午後というのは、人生でいちばん楽しい時間なんじゃないか。(学校はもともとその時間には終わっている。宿題なんて無粋なものはふつうない)

それ以外の日も、同僚と呑みにいくなんてことも滅多にない。たまに何かの記念日で(仕事がうまくいったとか)、軽食スタンドによってビールで乾杯して解散する。

このあと一路、家族のモトに帰る。夕食は家族といっしょにとる。ドイツは、とても質素な夕食で、毎晩、パン、ハム、チーズ、生野菜というのが珍しくない。この質素さと変化のなさは日本人には耐えられないようです(僕は平気)。

外食は滅多にしない。たまに奮発して、結婚記念日などに家族といっしょに出かける。夫婦でドレスアップしてコンサートに行き、帰りに軽食スタンドでサンドイッチをつまむというコースもふつうにある。

家族で、近くのビアガーデンにバスケットをもって出かけ、夫婦がビールを注文し、家族でバスケットの中身(もちろんハム、チーズ、生野菜+α)を食べるというのはごくありふれた風景です。ビアガーデンでは、ビールさえ持ち込みしなければ食べ物は持ち込み自由なのです。

完全割り勘社会

だいたい日本人男性のように、デートで1~2万円も使うなんてことはまずない。ドイツでは男女の場合でも割り勘が原則だし、2~3時間の森やまちなかの散歩なんてザラだから(真冬でも)、デートで大金を使うことはあまりない。コンサートもコーヒー代も食事も割り勘。

日本人男性は、ドイツ人女性と食事するとどうしても払いたくなる。これはぐっとがまんして半分払ってもらう。自分が全部払う場合は、払う理由をきちんと言わなければならない。

「僕が誘ったから」なんていいわけにならない。「僕が君をとても退屈させて、君の時間をさんざんにムダにさせたから」なら弁解として通じるかもしれない。その場合、たぶん相手の顔には、「当たり前よ。もう二度とあんたなんかと会わないわよ。まったく!」という表情がにじみでているはずだ。

ドイツ人にはほとんど謙遜というものは通じないから(というより、日本人の謙遜とドイツ人の謙遜では意味が違う)、言葉はそのままストレートに認識される。ドイツ人との会話ではへたに謙遜するべきではなく(うそをついたと思われるか、状況を理解できないバカと判断される)、積極的に自己アピールするべきなのだが、自慢と自己アピールをきちんと区別しなければいけない。その区別ができないで、とても聞き苦しい会話をしている日本人がいる。

話しを食事代に戻すと、「僕が払う」なんていおうものなら、「何でよ」と追及されることになる。その理由を説明するくらいなら(理由なんてないのだが)、はじめから割り勘のつもりでいたほうが合理的だし面倒がない。

相手が学生である場合(ちなみにドイツ人学生には20代後半はざら。なかには40代も混ざっている)、学生食堂とか、大学のホールの自動販売機など安くて長時間いられるところで待ち合わせる。公園のベンチなんてのもよく活用される。

会話こそメインディッシュ


「割り勘文化」というのは、ある意味で、特権性を剥奪されていることでもある。たとえば、男性が女性をデートに誘って、しかも割り勘であるということは、男性にそれだけの価値が必要なのだ。めしをおごっただろう、多少退屈でもがまんしろ、という言い抜けは通らない。男が「退屈させました」では、女性にしてみれば、そのうえ食事代まで払うのかよ、ということになって、踏んだりけったりなのだ。

ビジネスでもそうだが、誘ったら最後、相手を楽しませなければそれで終わり。もちろん自分が楽しまなければ、相手を真から楽しませることはできない。ピエロではだめなのだ。ジョークをふんだんに用意している人もいるが、そもそも会話を楽しむのも一つの能力ではないだろうか。

夫婦でも、家族でも、友人でも、ビジネスでも、会話を楽しむところから人間関係ははじまるんじゃないか。それができなければ、ドイツ人ならさっさと離婚だ。

会話を楽しむ能力は、彼らの生活の質を高めるためには必需品だし、それさえあれば、食べ物なんて二の次、三の次。 メインディッシュは、おしゃべりなのだ。どうりでドイツの食事は質素だ。もっとも、フランス男は、女性にごちそうをするし、話も楽しく、食事もおいしいから、いやみな国かもしれない。