2013年04月10日(水)

文学としての聖書入門・第一部

復活祭とは

今年は、3月31日が復活祭(イースター)で、世界中のキリスト教の教会で、イエスの復活が祝われました。復活祭は、イエスが十字架の上で殺されて、三日目によみがえったことを記念するお祭りです。

欧米では復活祭の前後2週間は学校が休みになるし、企業も数日休みになるから、キリスト教徒でなくても盛り上がる時期です。復活祭にちなむものを売る屋台も出てクリスマスと同じ騒ぎになるのですが、日本ではなぜか十月の収穫感謝祭のほうが有名で、かぼちゃの飾り付けが出たりします。でも、イースター時期に、卵やウサギが出されることはあまりありません。

卵は誕生を象徴し、ウサギは多産のシンボルだそうです。子どもは、復活祭の朝、教会や家の周囲に隠された卵探しをします。恐ろしく退屈なのですが、小さい子どもは卵を見つけるととても喜びます。卵の代わりに何かもっといいものをもらえることもありますが、大人はクリスマスと違ってプレゼントを買う必要がないので財布には優しい行事です。せいぜいウサギ型のチョコレートか卵型のカラに入ったキャンディです。でも、ひねくれ世代になると、チョコレートなんかではイースターを祝う気になってくれません。

日本ではやらないのは、死んだ人が生き返るわけだから理解しにくいのだと思います。だいいち死ぬというのは縁起が悪い。まして殺されるのはいかがなものか。それもかなり残酷な処刑法で、十字架に貼り付けられて死ぬまで待つのです。日本にも貼り付け刑はあるけど、十字架にしばりつけられてヤリでつくというもので、あっけなく終わる。ヨーロッパでは、娯楽のない時代に、残酷な公開処刑は庶民の娯楽でもありました。

日本でイースターがはやらない理由として、移動祝祭日であることも原因しているのかもしれません。移動祝祭日とは、「成人の日」や「春分の日」のように、日にちが毎年変わる祭日のことで、復活祭は、春分の日のあとの最初の満月のすぐ次の日曜日という、何だかわけのわからない日です。

カーニバルとは

さらにやっかいなのは、まあ、忘れてしまえばいいのだけど、復活祭の前日までを受難節(レント、四旬節)といって、この40日間(日曜日を除く)は、イエスの受難を覚えて、節制することになっています。まあ、甘いものを好きな人がケーキ断ちするとか、肉を食べないとか、セックスをしないとか、それぞれが勝手に決めますが、欧米でもあまり流行らなくなったようです。

この四旬節の前に行うのがカーニバルで、ベニスやリオのカーニバルが有名ですね。日本語では「謝肉祭」と訳されていて、これも何のことだかわからない。肉に感謝するという意味でしょうか。

カーニバルは、これから40日間、肉食をしないことに先だって、肉と酒、ダンスで大騒ぎするお祭りです。仮装して自分を何者かわからなくして、はめをはずします。リオははめをはずし過ぎて、かなり危険なお祭りでもあるようですが(危険地域では、死者や誘拐、強姦などもある)、ベニスはもともとお金持ちの都市らしく、品のいいお祭りになっています。

カーニバルのもともとの意味は、肉に感謝することじゃなくて、肉とおさらばすることとされます。16世紀の画家ブリューゲルの「レントとカーニバルの戦い」が有名(図)。この絵では、画面の左半分には、酒に酔い、肉を食べ、戯れる太った男女がいて、左半分には、魚を食べ、退屈そうに節制に明け暮れるやせた人々が描かれています。

カーニバルは、ベニスやリオ以外でも、とくにヨーロッパではどこの都市でも賑やかに行います。なぜか日本は、このカーニバルも輸出されていません。やっぱりちょっと観念的なところがわかりにくいのでしょうか。同じころの日本のお祭りといえばバレンタインデイで、これは聖バレンタインというカトリックのお坊さんを祭るお祭りです。こちらは関係ないので割愛します

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜイエスは殺されたか

さて、カーニバルとレントと復活祭に関係があるようでないのが、イエスの最後の晩餐です。これは、ダ・ビンチの絵で有名なんですが、イエスが、最後に弟子たちといっしょに夕ご飯を食べる場面です。

日本では、ユダの裏切りをイエスがちくることで有名な場面で、ダ・ビンチの「最後の晩餐」のモチーフもそれなんですが、ほんとは、それはさほど重要じゃありません。ユダがいようといまいとイエスは死んで復活することが定められているのだし、そのことをイエスは知っているわけだから、ユダのちくりは余興です。ただ、この場面で、イエスは、「私を裏切る者は、生まれてこなかったほうが、その者にとって幸せだ」と激しい言葉をいうのです。多くの牧師は、最後の晩餐で、「イエスは(自分を裏切る)ユダを許している」と説教するわけですが、「生まれてこないほうが幸せだ」というのは、そんな生やさしい言葉じゃない。

三分の一の太平楽な牧師は、「生まれてこないほうが幸せだ」といって、裏切り者のためにイエスは思いやっているのだと説教するんですが、どんなもんでしょうか。三分の一の牧師は、これは福音書記者(福音書を書いた人)が付け加えたもので、イエスの言葉ではないと解釈します。残り三分の一はこの言葉を無視します。

まあこのパーセンテージはいい加減ですが、ぼくは、イエスはこの言葉で裏切り者への憎悪をあらわしたと解釈してもよいのではないかと思います。神学者の中には、十字架に貼り付けられるまでを「未熟なイエス」として解釈しようとする人がいます。「人間イエス」が、自分を裏切る者をのろうとしても、それはおかしくないことです。

ところで、それにしても何だってイエスは殺されたのでしょうか。この疑問は当然ではないかと思います。こういう基礎的な質問って、「いまさらできないよなあ」と多くの人は思う。でも、イエスの死こそ福音書がすばらしく人間の内面をえぐる出来事なのです。そのうえイエスの死の理由を知らないキリスト教徒が多いことをご存じでしょうか。

最後にイエスの死刑を配下に命じたのは、ピラトというローマ帝国から派遣されている有能な代官です。当時、イスラエルはローマに占領され、苦しい植民地の時代を生きていました。ユダヤ人は、イエスをピラトに引き渡して死刑を要求したのです。

ピラトは、「なぜイエスを死刑にするのか」をユダヤの民の問うのです。そして、最後にこうまとめるのです。

ユダヤの民の妬みでイエスは殺される。私は、イエスの死に責任をもたない。責任はユダヤ人にある、と。

この言葉は二千年近くヨーロッパ人に反復され、ユダヤ人いじめの根拠になります(もっとも史上最悪のユダヤ人虐待をもたらしたナチ・ドイツは、キリスト教に関心がないため、この言葉を根拠にしていません)。つまり、二千年近くキリスト教徒は、イエスの死を自分たちの罪としてではなく、ユダヤ人の責任と考えていたのです。「イエス殺しのユダヤ人」という言葉は、あんがい最近までヨーロッパで使われていたことを実際に聞いている日本人神学者がいます。

なぜイエスは嫉妬されたのか

なぜイエスが嫉妬されたか、というといろいろな面があります。まず、イエスの教えというのは、それまでのユダヤ教の戒律や教えを片っ端から否定するものでした。イエスはそうはいっていないし、そのつもりはなくても、結果的にそうなっていました。

イエス自身は、「私は、戒律を完全なものにするために来た」といっていますが、たとえば、イエスは安息日に病人を治します(当時、病人を治すのは、手かざしとか、「ちちんぷいぷい」のたぐいであった。といったら、ギリシャの医聖ヒポクラテスに叱られるか)。

当時のユダヤの教えでは、安息日は、仕事をしてはいけないどころか、料理をしたり、話をすることも禁じられ、歩く歩数も決められていたので、病人を治すなんて「破戒」以外の何物でもないのです。さらに、病人は、自分か祖先の罪を背負っているがゆえに病気なのであり、さげすまれ、憎まれ、社会から放逐されるべき罪人なのです。それを安息日にイエスは治療しようとするのですからそれだけでも許せない。

しかも、やっかいなことに、イエスはそれらの病人を治してしまうのです。だからイエスの評判はどこに行っても最高度に高まります。医師としてのイエスの奇跡は事実である面もあったと考えられています。まあ、死んだ人を生かしたというのはやり過ぎだとしても、現在でも手かざしなどで人を治す人がいますから、そういう奇跡を何度かは起こしていたのではないでしょうか。

さらに、イエスは娼婦などといっしょに食事をします。ユダヤ教の教えでは娼婦などという「罪人」は忌み嫌われますから、同席することは許されません(同席してはいけないけど、買うのは大目に見られた)。

面倒な話ですが、「徴税人」という職業もあって、これは当時のローマ帝国などの代官の手下になってユダヤ人から金を巻き上げるユダヤ人で、税金の一部を着服していたとされます。当然、圧倒的多数の貧しい、食うものにも事欠くユダヤ人に嫌われるとともに賤業とされ(多くは小金持ちだが)、ユダヤ教では許しがたい罪人とされたが、イエスは徴税人とも食事をします。

もちろん、イエスはよほど話の天才であったらしく、どこにいってもイエスの話を聞くために人が押し寄せました。娯楽どころか食べ物もなく苦しい時代にあって、人々はイエスから愛の教えを受けることで、大きな慰めを覚えたに違いありません。

だから、イエスは、ユダヤ教の権威である僧からもっとも強く憎まれます。有名なミュージカル映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」では、僧侶がイエスの死を画策する場面は、ベースの歌手の低音がすごい迫力です。

愛されたイエスは庶民からも裏切られる

しかし、それより福音書の緊迫感を高めているのは、イエスが、ユダヤの庶民の妬みをも買うことです。ユダヤ教指導者は庶民を扇動します。そして庶民は、この英雄を妬みます。

福音書にしばしば出てくるのですが、庶民は熱心にイエスの話に耳を傾け、感動します。その同じ庶民が、イエスを妬み、死を望むのです。もちろん全部ではないにしても、「イエスに死を」と叫ぶ庶民の多くが、イエスの話に感動していた人々であることが福音書の端々に描かれています。

たとえば、マルコ伝では、イエスが最後の晩餐のあとに捕らわれたとき、最高法院の手下とともにやってくる群衆に向かって、イエスは、「あなたたちは私の話を聞いていたではないか」と問いかけます。知っている顔が多数混じっていたのでしょう。イエスの弟子も、このとき全員逃げ去ります。イエスは完全に孤独になります。捕まったイエスは、群衆とともに最高法院に連行されます。

群衆にまじって、イエスの高弟であるペテロが不安げにイエスのあとを追います。そしてペテロは、最高法院の中庭で、「おまえはイエスの仲間だな」と三度言い当てられ、三度とも、「いんにゃ、そんなやつは知らね」としらを切って逃げ切ります。ドイツ語なら、「シャイセ(くそっ)、そんなやつ知るもんか」。英語なら、「ダン!知るわけないだろ!」という調子であったことが、ご丁寧に福音書に書いてあります。

ここまで書くか、というほどに二千年前に書かれた福音書は人間の内面を見つめているのです。この箇所は次回、紙芝居で説明します。